潮騒を遠く聴く。

Twitter:@augdimsuki

SNSと孤独

最近SNSの使い方を改めなければいけないなと思い始めてきている。

私が「潮騒」というハンドルネームでTwitterを始めたのがおそらく2019年とかその辺りだと思う。5年も経つのか...。時の流れが早過ぎて恐ろしい。最近歳をとるのが本当に怖い。歳をとって老けるのが怖いというより、若さで許されている部分が徐々に許されなくなるということが本当に恐ろしく感じている。歳をとることについてもどこかで話そう。

 

メンヘラ特有のリセット癖が発動して何度もアカウントを作り替えたが、繋がっていたいと思う人たちはその度にフォローしているので、フォロワーはあまり変わっていないと思う。

リセットしたいと思う理由はいくつかあるけど、一番大きな理由は過去の自分が嫌いということだと思う。衝動性つよつよ故、考えがコロコロ変わり、その度に過去の自分を憎たらしく感じ、リセットするためにアカウントを消しては作り直すのだ。アカウントだけではなく物も同じように捨ててしまうので、もはや何も残ってはいない。日記でも付けてとっておいたらよかったなと今になっては思うのだが、日記なんか黒歴史にしかならないので続くわけがない。実際何度も数ページしか埋まっていないノートを捨てた。

職も転々としていたので、人生のタイムライン上に物差しとなるようなものが何一つ存在していない。例えば大学生であれば一年、二年...と物差しがあるので、いつ何が起きたのかは覚えているものだと思う。物差しがない場合は、記憶の依代がないというか、細々とした記憶が何にも紐づけられないまま、なんとなくそんなこともあったなぁ程度に頭の中に無造作に点在していることになる。

SNSもリセットせず残しておけば、日記がわりになっただろうと思う。SNSには日記という使い方がある。

 

私はリアルでの交友関係がかなり狭いので、むしろSNSの方がリアルになってしまっているかも。「所詮SNSの人間関係だから」っていう言葉も私にとっては、「所詮リアルの人間関係だから」という裏返しの言葉と同じくらい意味のないものに感じたりする。

正直現実で関わるような人たちとそこまで深い関係にならない。現実で出会う人間は、仕事フィルター、地域フィルターなどのフィルターを通して出会うことになるが、それらのフィルターは自分が興味のある人間を篩い分ける機能がないので、あまり深く関わりたいという人たちと出会えない。ただその上でできるだけ楽しもうと思って色々関わってみたりはするものの、なんだかずっと自分自身が仮面を被っているような状態で、まあそれはそれでいいんだけど。

一方SNSは好きな音楽家のフォロワー欄や投稿のいいね欄であったり、それを介して繋がった人たちのそれであったり、趣味フィルターを通して簡単に自分と趣味が近い人たちと出会うことができる。本当にすごいことだと思う。

SNSには趣味が近い人たちと繋がるという使い方がある。

 

SNSには人それぞれいろんな使い方があると思うけど、私は専ら趣味や感覚などが近い人間と出会うために使っている。大体の人間がそうだと思うけど。自分は現実を信用していないので、こっちの世界を信じるようになる。でも、SNSも現実であることには変わらないと信じているが、ただそれでも人間との関係は、そこにとどまる限りヴァーチャルなものになると思う。お互い認識はしていていいねをし合う、たまにリプをし合ったりすることがあっても、現実で目を見て話したりはしない。ツイートは不特定多数の目に触れる可能性があるにも関わらず、匿名性の高さゆえに、現実では開示しないような自らの内面などに深く言及したりすることがある。それを深い関係ではないのにお互いに見ることになる。この時点でかなり異質だと思う。

実際に会ってお互いの実存を認識して目を見て話してようやく現実の関係と言えるのかなと思う。

 

自分は現実の交友関係が狭い。人と関わろうとするとどうしてもSNSになってしまう。それに加えて孤独を感じやすい性分だから余計にSNSに依存してしまっているのだと思う。ツイートするほどでもないことをツイートしたりとか、頻繁にタイムラインを更新したりとか、自分の現実の時間を侵食してしまっている。これが今の一番大きな問題だと感じている。

 

孤独について話そう。

文明の発達のスピードが人間の進化のスピードと比べて早過ぎて私たちは追いつけていないと思う。群れから離れると危険なので、そういうときに寂しいという感情が役に立ったんだと思うけど、今はみんな基本的には一人で生活する社会になっている。結婚して子供を儲けても核家族化していて、群れで共同で子供を育てる社会とはかけ離れている。

今の私たちにこんな孤独感を感じる機能必要ですか?

もういらないと思う。長い年月をかけて人類は今の社会や文明に適応するために孤独感を捨てるのかな。どうだろう。

この必要かどうかもわからない孤独感に狂わされている。とにかく誰かと話していたいし、そうでなくとも私の発言に何かしらの反応が欲しい。

 

人間が認知できる知り合いの数について調べていたら、ダンバー数という概念があるのを知った。定義としては、人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限とされている。一説によると、ダンバー数は150人程度とのこと。SNSのフォローフォロワーの数って人によってはもっと超えてる場合もある。人間そんないっぱいの人間と付き合えないよ〜。密接な関係となるともっともっと少ないから、多く見積もっても10人くらいなんじゃないかな。私の場合はもっと少ないと思う。

だから、無理に交友関係を広げる必要はない。今ある関係を大事にして、もっと深めていくべきなんだと感じている。

そんなこんなでSNSの使い方を改める必要があるなあと思った。見る回数も減らしてもっと別のことに時間を使いたい。極端人間なのでアカウントを消そうとも考えたが、SNSに利点があるのは紛れもない事実だし、そこはうまく活用しようと考えているので、少なくとも今は消そうとは考えていない。その代わりスマホからログアウトするのもいいかなあと考えている。考えていることの整理にブログは続けるとして、自発的にツイートするのは更新したときだけ。そのときにタイムラインをざっと見るくらい。

これくらいが上手な付き合い方のような気がする。無理かな。無理そう。

どうすればいいんでしょうか。誰かアドバイスください。てか友達になってくれ🤝