潮騒を遠く聴く。

Twitter:@augdimsuki

誠実さについて(メモ)

数年ぶりに初めて自分のことで悲しくなって泣いた。悲しいことがあっても離人が起こってるのか全然悲しいと思えなくて、ただただ虚無感を感じるより他になかった。今日夢を見て起きて、堰を切ったように悲しくなって泣いた。楽しい夢も悪夢だと思った。


近頃、誠実さとか愛情について考えすぎて頭がパンクしているかもしれない。誰しも何かを考えるときには、自分が傷つくような結論を避けて、無意識のうちに都合の良い結論を導こうとする。そういったバイアスをできるだけ排して正しいと思われることは何かと考えていると、自分の過去の行動とか全てを否定していく作業でしかなくなっていってとてもつらかった。


私はずっと人生を真剣に生きていなかったんだ。今思い返すと、つらいときこそふざけたような態度で生きていたかもしれない。つらいことを真剣に受け止めるということを放棄していた。離人が起きているから悲しいと思えなかったのではなくて、酸っぱい葡萄の防衛機制が働いていたのか、起きたことはしょうもないことだ、自分から離れていく人間は本当はつまらない人間だったんだと思い聞かせることで、どうにか自分を保っていたのかもしれない。つらいことが起きても、本当に考えていることを曲げて悲しくないと思い込んでいたのだと思う。そうすると反省をすることができないので、何度も同じ間違いを繰り返すことになる。

もし、どうにもならかったとしても、きちんと自分の行動を清算するという意味で、正面から受け入れる必要があるのだと思う。みんなは辛いことがあるときどうしているんだろう。


私は誠実とはそういう意味だと思った。自分に嘘をつくというのはこういうことかと、今ようやくわかった…。そのときは悲しくないと思い込んでいても、それは徐々に、でも確実に自分を蝕んでいる。

他者のためを思ってとか、助けるという体裁で、自分が気持ちよくなるために他者を利用していることがあったかもしれない。もちろん動機の全てをそれが占めているわけではないが、そういう部分は少なからずあった。結果的にwin-winなら何も問題はないと考えているが、どうしてもそうはならないことが多かったし、それが必然の成り行きだと思う。


自分の感覚的に正しくないとわかっているのに、欲求を満たすために行動を合理化することは不誠実だ。自分を納得させる理由づけを考えて自分に嘘をついているということになる。嘘をつくのは悪いことだ。何故なら、合理化したときの拙い理屈や、自分がとった行動がずっと頭の中に残り、蓄積して、今後の人生のあらゆる選択に影響するからだ。


誠実でいようとするのは本来とてもつらいことだと思う。自分の行動全てに責任を負って、その結果を引き受けるということだから。でも人生はその連続であるし、これを蔑ろにして傷つくことを恐れて生きていくのなら、いっそ死んだ方がマシだと考える。